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★ 小論文試験
【 20100108 法科大学院の要求する能力と学習態度 】
 

T はじめに

  法科大学院の入試に課される適性試験と小論文について,一見すると「パズルみたいなのと読解問題」「文章を書かされる問題」ということで,全く異なる試験のように見えるかもしれません。しかし,法科大学院が,法律を学ぶ人を募集するにあたって志願者の潜在力を測定するために行なっている試験である以上,何らかの一貫性をもって能力測定をしているはずです。

 私たちは,試験対策の講座を設計するうえで,過去問だけをみて教材をつくっているわけではありません。辰已における私たちの講座は,法科大学院制度の初年度,過去問が全くない状態の中でも,初年度の入試傾向を徹底的に先取りすることができました。それはなぜか。答えは単純なもので,この試験がいかなる能力を測定するものであるのか,という試験の性質(本質的な目的)を考え,自分が法科大学院の教員だとしたらどのような試験問題を出すか,というシミュレーションを当たり前のように行なったところ,ピタリだった,ということです。

 来期に法科大学院を目指されるみなさんは8期目になりますので,あれから7年あまりが経過したことになります。志願者総数は減少していますが,試験の本質は何も変わっていないどころか,私たちが指摘し続けて来た通りのものに近づいて来ています。一時期には,何やら反対意見(適性試験なんか出来ても法律の勉強には関係ないのだとか,小論文さえ頑張れば逆転合格は容易なのだ,といった発言者に都合のよい,端的に言って誤った言論)が闊歩していましたが,いまとなっては,適性試験も小論文も,同じ能力を測定しているのだから,バランスよく学んで力をつけていかなければならないことが,より一層,明らかになってきているのです。

 そこで,本稿では,これから法科大学院を経由して法律学を学ぼうとされている方を対象に,学ぶことと能力を伸ばすことに関する,重要な話をしていくことにします。

U すべての学びに通じる学習のモデル

 法科大学院に進学すれば法律学を学びます。その受験段階では適性試験や小論文が課されます。その他,世の中には各種の入学試験が行なわれていますが,その中には「覚えれば解ける試験」と「何かを覚える以上のことがらを要求している試験」とがあります。ここで,後者のタイプの試験に関する受験指導がさまざまに行なわれていますが,そこには本質を捉えた学習法と,一見取っ付きやすいが実は身に付かない(試験の要求に合わないために成績も上がらない)学習法があります。本稿では,これらの違いを丸裸に明らかにしてみることにしましょう。以下に「何かを覚える以上のことがらを要求している試験」のすべてに通じる,重要な学習法について,説明します。

・受験物理における「公式主義」と「微積分主義」

 話のなりゆきとしては,皆さんが経験済みの大学受験での話から入るのがよいでしょう。そこで,物理学を取り上げます。一見すると,法科大学院入試と関係ないのでは,とも思えそうです。しかし「深い穴を掘るには広い穴を掘らなければならない」と言います。本質を捉えた学習法と,そうでないものとの対比が,見事に共存している受験指導の世界があるから,受験物理を例として取り上げるのです。

 大学受験の物理の学習法には,「公式主義」と「微積分主義」という二つの流派・流儀があります。いずれの立場も一長一短があるのですが,それを簡潔に述べれば,「公式主義」で学ぶと,現象をイメージしやすく問題を素早く解ける一方,実は本当の意味が分かっていないので,大学入学以降の物理学の学習には全く役立たないのです。「微積分主義」で学ぶのは本来の学習方法であって,将来にも継続できるものですが,しばしば問題を解くのに時間がかかったり,計算力が中途半端だと文字式の海に溺れてしまったりしかねません。

 そもそも,物理学という学問の本来の態度は,次のような特徴を持ちます。それは,@できるだけ少ない基本原理・原則からできるだけ多くの自然現象を演繹的に記述することと,A新しい現象を発見もしくは予言すること,というものです。特徴の@は,法律学にはあまり妥当しませんが,学問の基本態度ではあるので,適性試験には妥当します。また,Aについては,法律学そのものが未知の紛争や社会問題にも対応可能な仕様をもつ必要があるという点で妥当します。物理学のもつこれら2つの特質に鑑みると,より上位にある基本方程式(基本が上位であることに注意)から,微積分というツールを使って,下位にある多数の個別公式を演繹するというのが自然なスタイルであることは明らかで,この点で「微積分主義」が本来の正しい学習法であることは疑いの余地はありません(微積分主義に基づけば,力学はたった1個の,電磁気学はたった4個の基本方程式によってすべてを導き出すことができます)。

 ところが,この微積分主義で学ぶためには,数学力を前提とされてしまうという,大きな制約があります。そこで,受験業界は,世の中の多数派を占める(数学力の不足した)学生のために「公式主義」という学習法を提示します。この方法は,百を優に越える下位の個別公式を,隅から隅まで撃破して,試験問題を解くときにはこれらの公式群(リスト)から適切な公式を選んで使うというもので,試験対策の多くはこれらの順列・組合せを習熟することに費やされます。微積分主義の立場から見ると,何と言う無駄なエネルギーを……と言いたいところなのですが,数学力がなければこの方法しか採り得ません。

 とはいえ,公式主義にも利点はあります。公式を選択して使うだけなので,速く解けるのです。速く解けるというのは,入試においては一つの価値となりますが,入試突破後には(予備校で教える場合くらいしか)役立たないのです。一方,微積分主義を純粋に貫くと,速く解くことができません。なぜなら,一々基本公式から演繹していたら,試験時間内には間に合わないからです。

 そこで,賢い人はどうするのか。それは,微積分主義に立って勉強しながら,結果の公式は覚えてしまい,試験場で使うのです。いわゆる折衷主義なのですが,最初から公式主義で学ぶ人とは,公式の理解の深みにおいて格段の差があるのです。

 以上に述べたような,受験物理の2つの学習方法の対比は,適性試験・小論文にもそのまま該当するのです。

・適性試験における「公式主義」と「現場思考主義」

 適性試験の学習においても,全く同じ対比が妥当します。「公式主義」は,お分かりですね。問題類型ごとにQ1にはA1解法,Q2にはA2解法,……というリストをつくるという学習方式です。これは,慣れた問題が出題されると,速く解けるような気がします。ところが,これは錯覚に過ぎません。自分の不安感を麻痺させているともいえましょう。

 公式主義の学習法は,適性試験において必ず出題される未知の現場思考問題には,残念ながら対処できません。その不適合は,受験物理における公式主義よりも絶望的です。なぜなら,物理の場合には既存の物理現象しか出題されないので,すべての公式を覚えれば,それらの組合せで必ず解けるようにできているのですが,適性試験の場合には,必ず解ける公式のリストなど,存在しないのです。だいたい,出題範囲(文科省の学習指導要領のようなもの)だって,存在しませんから。「適性試験バイブル」に書かれた出題範囲らしき表やリストは,私たちが作っているのです。権威による公式発表の如き裏付けなどありません。

 さて,他方の「現場思考主義」も,どういうものかお分かりですね。適性試験は問題設定が日本語で書かれているので,これをきちんと読むことが第一歩なのです。言語能力が備わっている人にとっては,問題を正確に読解すれば,必ず解けるようにできています。なぜなら,適性試験は,<法律学についての知識ではなく、法科大学院における履修の前提として要求される判断力,思考力,分析力,表現力等の資質を試す>という目的をもって設計されており,特定の知識を前提として,知っているか,覚えているかを問うような試験ではないからです。あとは,制限時間内にという要求がある(これは結構厳しい)ので,これについては辰已の連続模試などで練習を積んで,慣れるのです。

 現場思考主義は,問題文に手がかりを求める(それ以外にはあり得ない)ので,覚えるべきことが殆どありません。ところで,覚えることと理解することの違いは大丈夫ですか。適性試験では理解すべきことはそれなりにあるのですが,覚えるべきことが殆どないのです。本来は理解すべきことを「覚えよう」などと努力しはじめたら,その時点でアウトです。有能な塾講師はしばしば,指導の場で「そんな大事なことを,覚えちゃダメじゃないか。理解しろ」と言います。もちろん,理解し尽くした結果として覚えてしまうのは歓迎すべきことなのですが。

 現場思考主義に立つ適性試験の学習は,問題文に指示された要求とヒント(考え方の道標)を汲み取って,その作業を実行すればよいのです。ところが,この道標が見える人と見えない人がいる。その読み方は,一般論としては「書いてあることをちゃんと読むのだ」(実は,これが出来ていない人が多い)としか言いようがないので,あとは個別の問題でものの見方を知ってもらうということになります。これが見えるようになるためには,科学的世界観をもっていることが必須です。科学的(Scientific)であるとは,客観性を検証できるような仕組み(追試可能性と言われる)が内蔵されていることを言います。法律学そのものは,このような意味からは科学的な学問とは言えませんが,学ぶ側の人間には,やはり科学的世界観(ここでは狭義に,階層化された知識構造を構築する知的態度をいう)がないと,膨大な知識事項を整理できないでしょう。この点については,後述します。

 次に,道標が見えたとして,作業を進める(推論を進める)方法を持ち合わせていない人がいます。これについては,中学・高校時代の学習態度(真面目かどうかではなく,科学的かどうか)が問題となってきます。単に右から左に覚え倒すという学習(科学的世界観から最も遠い学習態度)をして来てしまった人には,適性試験の学習はこれを矯正するよい機会となるはずです。講座では,推論ツールとしての論理学の基礎(たとえば高校1年レベルの数学知識である「命題と論理」など)を,かならず理解できるように教えます。「基礎」と言っても,易しいわけではありません。むしろ多くの学問で,基礎・基本をきっちり身に付けるこそがエネルギーを要するのです。この大事なことがらを言語化して皆さんに理解できる言葉(日常の言葉)で伝えることが,私たちの使命です。

 以上に述べた,適性試験における公式主義と現場思考主義の対比の概念は,DNC適性試験の第1部(推論・分析力),第2部(読解・表現力)のいずれにも等しく妥当します。

・小論文試験における「事例あてはめ主義」と「応答主義」

 物理学・適性試験と話を続けてきましたが,次は小論文です。小論文において公式主義に対応する学習法は,「事例あてはめ主義」と呼ばれるものです。たくさんの事例を右から左に覚えて,似たような問題に類比的に適用してみようという学習法です。小論文ではさまざまな社会問題が素材となって出題されますが,これらの個々の問題は,階層としては下位にある問題です。物理学における個々の公式のようなものです。事例あてはめ主義に基づく学習法は,試験場で同じ社会事象が的中した場合には,得をしそうに思われるのですが,実は後述する「応答主義」で学ぶ態度と比較すると,問題意識の理解の深さという点で太刀打ちできません。また,この学習法は,個別の問題を丹念に扱うことで何か勉強をしたような気分が得られることでしょう。しかし,ことの本質は,適性試験における公式主義と同じです。やはり,自分の不安感を麻痺させているだけなのです。

 では,個々の社会事象よりも上位階層にあるものは何なのでしょうか。それは,一言でいうならば,社会をつくり運用する上でいかなる価値を重視するべきかというものです。これは価値判断ですから,何が正解というものではありません。したがって,小論文の答案に「正解がある」とか「出題者の書いて欲しいことに近いか遠いかで評価が決まる」といった言説には,疑いの目をもつ必要があります。法律論には国の見解という「正解」がありますが,小論文にはそのようなものは,基本的にはありません(ただし,要約問題・読解問題など,一部の出題類型には明確な正解があります)。

 話を戻しますと,上述の社会設計上の価値判断とは何か。法科大学院の出題を分析する限り,それは「自己決定論(人は自分のことを何でも決めてよいのか)」「専門職責任(法律家を含む専門家はいかなる規律に服するのか)」「公共哲学(公と共同体のありかたについての思索)」「自由論(自由はどこまで尊重すべきか)」「平等論(いかなるパラメータにおける平等を志向すべきか)」「正義論(社会において何が正しいことと合意するのか)」といった問いになります。こうした問いについて考え尽くしたうえで,地に足の付いた議論を展開することが求められているのです。これらの問いについての理解を深めておけば,個々の事例に降りていくのは簡単です。「降りていく」のであって,「あてはめる」のではありません。

 法律学の場合には,事案の処理方法に関して判例を知らなければ一巻の終わりとなりますが,小論文の場合には,多くは結論すらどちらでもよいのですから,事案がどう処理されたかを細かく覚え尽くす必要はないのです。もちろん,社会常識が不足しているのは困りますから,日常生活で報道に触れて考えるという生活習慣をつけておけばよいでしょう。ここでも科学的世界観に基づく思考が大切となります。

 そもそも,これは何度も言って来たことなのですが,小論文試験は覚えているかどうかを問う試験ではないのです。極端な話をすれば,実際の結論と食い違ったとしても,それは社会の多数派と同じ考え方を持たなかったというに過ぎません。少数派の言論にも汲むべき真理が含まれています。少数意見に立っても,筋の通った根拠づけによって説得力を備えれば,十分に高評価を得ることが可能です。特に一例を挙げれば,「専門職責任」の分野などは,多数意見を採るとだいたいダメだというくらいの特別な規律があります(だから専門家でないと務まらない)。素人さんとは違う考え方を採ることが要請される場面があるということです。これは,公式主義ではマスターできません。専門職の規律というものの「考え方を理解」しなければ,どうにもならないのです。

 ここらあたりで,事例あてはめ主義の対極にある学習法に話を進めましょう。それは「応答主義」というものです。小論文試験において,何が評価を分けるのか。知識の有無や覚えた量ではありません。課題文が読解できているか,日本語がまともか,といった点は前提事項です。評価を分ける分水嶺は,出題者の有する問題意識に応答できているかどうかです。「問題意識」という単語は,有力な法科大学院教員の多くが,学校説明会等の場で,小論文試験の重要ポイントとして言及しているものです。出題者(教員)というものは,ものごとをただ覚えるだけで,問題意識に応答できないような人物は,あまり採用したくないものなのです。だから,学習態度としては応答主義に立つ必要があるのです。私たちは,このポイントを徹底的に鍛え上げるような講義を進めます。

V 階層化された知識構造を構築すること

 以上にみたように,法科大学院向けの受験対策としては,適性試験においては「現場思考主義」を,小論文試験においては「応答主義」を採用しなければならないのですが,この2つは同じ態度であることに,もうお気づきですね。それぞれの試験の特徴に合ったものの言い方をしているだけで,述べている内容は同じです。結局,いかなる学習においても,下位の階層にあるものを右から左につぶしているだけでは不十分で,何が何でも上位階層にある何かを掴むことが必要なのです。これは,物ごとの本質をつかみ出すことでもあります。では,どのような態度を持って学習を進めれば,本質が見えるのでしょう。

 ここで,はっきりさせておかなければならないのは,私たちは知識が不要だと言っているのではないということです。知識は必要ですが,それは一定量を確保できていればよいのです(これが確保できていない世代が生まれたというのが学力低下という社会問題です)。知識の量を誇ることよりも,はるかに重要なことは,階層構造をもって整理された知識を持つことです。おそらくは,これが,決定的です。私たちの講義では,適性試験であっても小論文試験であっても,等しくこのことに力を注ぎます。知識そのものは,入試で必要なことはきちんと教えていますが,細かいことは百科事典でも見て下さい。百科事典的なことを網羅的に講義することは,おそらくは講義時間の無駄でしょう。

 湖畔を歩いていたら,飢えている少年に出会いました。次の行動(@魚を与える,A魚の釣り方を教える)のうち,どちらが親切でしょうか。もうお分かりですね。

W 結論:社会を立体的に見られるようになろう

 本稿の冒頭では,法科大学院の入学試験がいかなる能力を測定するものであるのか,という問題提起から始めました。既修者コースの法律試験は別として,適性試験・小論文試験,さらにはステートメントや面接でみようとしている能力を一言でいうなら,それは「言語能力」というものです。要求されている能力のすべてが,ここに,統一されます。

 しかし,言語能力を身につけようと言っても,いったい何ができるようになればよいのか,分かり難いというのも事実です。適性試験・小論文試験を課すことで,言語能力の高い人を選び出すことは,確実にできます。ですから,このテーゼには間違いがないのですが,個々の受験生のみなさんが,何に向けて努力したらよいのか。これを,試験の点数ということではなく,学習態度という観点から詳論したのが,上述の「現場思考主義」と「応答主義」という態度です。

 この態度を身につけると,皆さんの思考に科学的世界観が宿ります。その結果,社会を立体的に見ることが出来るようになります。この視野を得ることが,法科大学院に入学後の学習はもちろん,受講生の皆さんにとっての生涯価値につながること,疑いないでしょう

 

 
 
 
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